みどり苑職員数十名がみどり苑屋上にて、みどり苑のロゴを人文字で描いている写真

ごあいさつ

医療法人財団五省会
理事長 西能 淳

高齢者の医療福祉は、わたしたちの暮らしにおける最重要課題となっています。平成12年に創設された介護保険制度は、予想を超えたペースで進む高齢化に追い立てられ、年々制度の在り方やサービスの仕組みが見直されています。

介護老人保健施設、通称「老健」は「家庭と病院の中間施設」と定義され、身体のケアやリハビリテーションを通じて、高齢者の健康と自立を支えることを目的とした施設です。QOL=クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を重視し、単に「長生き」を喜びとするのではなく、可能な限りご自身の意志で暮らしを営み、老いと寄り添ってゆける社会の創出を、わたしたちの大きな目標とせねばなりません。

平成13年4月に開設した『介護老人保健施設 みどり苑』は、その名称を五省会の発展に尽くした西能正一郎(しょういちろう)、竑(ひろし)兄弟の母、みどり氏にちなんで名付けられ、「母」の字をかたどったロゴマークには、親を敬い慕う気持ちが込められています。

みどり苑では「明るく・たのしく・すこやかに」をスローガンに、利用者皆さまがご自身にとって望ましい暮らしをおくっていただくためのサポートをおこなっています。ご家族はもとより、地域住民、ボランティアの皆さまにもお気軽にご来苑いただき、当苑がすこやかな地域づくりの発信ベースとなるよう願います。

皆さまのご利用をお待ちしております。

「安心と思いやり」の施設となるように

亀井施設長近影写真

介護老人保健施設 みどり苑
施設長 亀井 哲也

令和2年4月「介護老人保健施設みどり苑」の施設長に就任しました。「西能みなみ病院」の内科外来も週に1コマ(火曜午前)担当します。どうぞよろしくお願いします。

私の自己紹介をさせていただきます。昭和25年生まれで、令和2年3月に70歳、古希を迎えました。出身は金沢市です。信州大学を卒業後、当時の久田欣一教授に誘われて金沢大学医学部の核医学診療科に入局。その後、昭和56年に富山医科薬科大学医学部放射線科に移り、放射線診断、放射線治療などを専門に研究、教育、診療をおこないました。当時、核医学、CTやMRIなどの画像診断機器が著しい進歩発展を遂げており、医局員が少なくて大変でしたが仕事はとても面白く感じました。富山県済生会高岡病院が新築移転時に信州大学の先輩である加藤副院長から誘われて放射線科部長に就任。医療局長や副院長を勤め、65歳の定年後に西能病院から内科部長にならないかとのオファーがあり、西能病院に移りました。実は富山医科薬科大学の講師・医局長の頃から西能病院には非常勤医師として勤務しており、五省会に勤務する医師としては非常勤医師時代も含めると私が1番古いかもしれません。五省会との深いご縁を感じます。

あと私を紹介するとしたら、マラソンをしているスポーツドクターという面でしょうか。私は五省会マラソン部の一員です。65歳の誕生日に発作性心房細動に対するカテーテルアブレーションという手術を受け、1年間心臓リハビリのために1日1万歩以上のウォーキングを課し、翌年の66歳になってから「富山マラソン」を走ってみたいとランニングを始めました。それ以来、毎年自己ベスト記録を更新し、金沢マラソンでは3時間38分台を出しました。ウルトラマラソンにも2回挑戦、現在はスイミングやバイクの練習もクロストレーニングとして行っています。高齢者でもスポーツを楽しむことにより健康寿命を延ばせることを私自身が示したいと思っています。

「みどり苑」は以前認知症になった私の父親がお世話になった施設です。最後は肺癌になり、誤嚥性肺炎のため病院で亡くなりました。これまでは病院での看取りが当たり前でしたが、これからはなるべく健康寿命を延ばして必要なら自宅や自宅近くの施設での介護やリハビリを受け、積極的な医療や介護が必要になったら、地域の病院・施設に入院・入所するといった「地域完結型の医療・介護」を受けるのが望ましいでしょう。国も健康寿命を延ばして医療費の抑制を図っていこうとしています。

「みどり苑」は若くて明るい親切な職員がそろっています。私は専属の施設長として職員と一緒になって隣接の「西能みなみ病院」と連携をとりながら利用者さんの介護、リハビリ、楽しく幸せな生活のために全力を尽くします。「みどり苑」の合言葉「明るく・たのしく・すこやかに」を大事にしつつ、これまで以上に「安心と思いやり」の施設となるように努力したいと思っています。入所者さん、ご利用者さん、ご家族、地域の諸施設との連絡、連携を密にして介護サービスの向上に努めます。なにとぞよろしくお願い致します。